SERIAL Twoに向けて(6)
まだ、こいが思ったように、暴れてくれません。暴れへの予兆は練習のつどあるのです。でも「暴れ出して止まらなくなったらどうしよう」という、私の一抹の不安を見透かしているのか、こいは色鮮やかに流れに身をまかせているだけです。
こいつ寝てるんじゃないか?
本番でもこんな感じだったら、前任同様にポアレにしてお客さんにふるまってしまうぞ! キィーーー。<夢の中の一幕>
まだ、こいが思ったように、暴れてくれません。暴れへの予兆は練習のつどあるのです。でも「暴れ出して止まらなくなったらどうしよう」という、私の一抹の不安を見透かしているのか、こいは色鮮やかに流れに身をまかせているだけです。
こいつ寝てるんじゃないか?
本番でもこんな感じだったら、前任同様にポアレにしてお客さんにふるまってしまうぞ! キィーーー。<夢の中の一幕>
瀧口修造がデカルコマニー手法で製作した作品群を世田谷美術館でみた。デカルコマニー手法は絵具をツルツルな版に垂らし、その上から紙などで押さえ模様を写しとる技法だ。『瀧口修造 夢の漂流物 展』のそのデカルコマニーたちは、5枚の壁に横5列、縦8列づつ配置され出迎えてくれた。遠くに見れば、緑や紫や茶色の淡いグラデーションタイルのような、その表面に定着した絵具が毛細血管のようだった。その細かさには際限がなく、絵具が定着した紙の繊維の細かさをもしのぐほどに見受けられ、「うぅ〜ん」と感銘の声をあげてしまった。そのデカルコマニーの作品は優しく柔らかく繊細で、彼の詩と同様なこだわりがにじみ出ていたた。
ほんとうは、巌谷國士の講演会が目当てでいった世田谷美術館だったけど、こちらは満員御礼であえなく断念。次の機会をみて、そのトークに心を震わせたいとおもいます。
「バイオロジカル・サイクル」という名の映像はおもしろかった。この映像には何かを再現するための色はなかった。だから映像の粒子はこんなにも豊かな発色をするのかぁ〜、と久々にぐっときた。大抵、映画でもビデオでも写真でも、色は何かを再現するために使われる。機器発明の原点がそこにあるのはわかるけど、芸術がそんなことをはなっから頼まれてないことも明白。こんこんと湧き出る水のように鮮やかな色彩は何ものも再現せずにひたすら生成するのでした。
この映像を面白くしている「生物学的循環」という考えは、いわゆる生態系や輪廻転生なんかではない。それは元の映像(フィルムだったらしい)がもっていた記号と色彩の加速度な循環によるデコンストラクトなんじゃないだろうか。もしかしたら 中島興 本人は陰陽道における循環や、電気的フィードバックのことを示唆したいだけかもしれない。でも彼のビデオの色が私たちの目をとりこにする、この事実のほうが映像の起原をシュミレートしている気がする。
作品情報
title: Biological Cycle (part 5)
duration: 10 min.
year: 1982
artist: Ko Nakajima
categoly: video art
80's VIDEOART!をファイドロス・カフェにて鑑賞した回想録。